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当サイトからのお知らせ  新型コロナウイルス肺炎について 【2020年2月25日情報追加】 現在、シンガポールでは疾病対策コード(危険信号の様なもの)が、Orangeに指定されています。Orangeは、最高危険レベルのRedの一つ手前です。また、2月1日より、「14日以内に中国本土への渡航歴」がある人のシンガポールへの入国・トランジットはできなくなっているのでご注意下さいませ。シンガポール現地住民で中国から帰国された人への制限も実施されており、学校への登校・会社への出勤が禁止されています。2020年2月24日12時時点のシンガポール政府から公開された情報では、新型コロナウイルスの感染者数は90人(前日比1人増)、検査中が25人(前日比16人減)、検査結果が陰性の人が1239人(前日比37人増)、すでに回復し退院した人が53人(前日比2人増)です。日本のクルーズ船を含めた感染者数と比べると少なく見えますが、人口比率で見ると、日本より約3.56倍もの人がシンガポールでは感染している数値となります(2月19日時点での算出)。日本のクルーズ船を含めない感染者数での人口比率だと、日本より約26倍もシンガポールは感染率は高いです(WHOでの統計ではクルーズ船の感染者数は日本には含まれていません)。2月25日にWHOが発表した、2月24日時点の世界の感染者数は、中国:77262人、韓国:763人、日本:144人、イタリア:124人、シンガポール:89人、イラン:43人、アメリカ:35人、クルーズ船(日本):695人です。シンガポールでの感染者数は日に日に増加しており、2月9日にはカタールとクウェートがシンガポールへの不必要な渡航を控える通達を出しました。2月22日には、インド政府もシンガポールへの不要不急の旅行を控える通達を出しています。旅行情報を発信する立場としては、大変伝えづらいのですが、今の時期のシンガポールへの渡航は、当サイトとしてはお勧めできません。もしこれからやむを得ずシンガポールへ行かれる方はくれぐれも感染されないよう、ご注意下さいませ。現地ではマスクも売り切れており、入手困難です。各観光施設へ入る際には、体温チェックが実施される場合があります。さらに、渡航歴も聞かれる可能性もあるため、パスポートの携帯を忘れないようにしましょう。新しい情報が入り次第、当サイトでも情報を発信させて頂きます。

シンガポールの歴史の簡単まとめ

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歴史
シンガポールに旅行・観光に行く際に、簡単な歴史や文化を知っておくとその国のバックグランドやローカルの雰囲気をより楽しむことができます。
ここでは、シンガポールの歴史を簡単に3つのステップに分けてお伝えしていきます。

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近代シンガポールの父ラッフルズ

シンガポールの初期の時代~近代シンガポールの父ラッフルズの登場までを簡単にまとめていきます。

海賊だらけの時代

シンガポールという名前がまだついていない14世紀頃までは、この地域には主な産業や、土地も痩せており農業も栄えておらず、海賊を生業としている人々が多く住んでいました。その頃は、トゥマセクという名称でこの地域は呼ばれていたのですが、そこに、スマトラから来た領主「サン・ニラ・ウタマ」が繁栄地を作り、名前をシンガプーラに改めたという説が、シンガポールと呼ばれる由来となった一番の有力な説となっています。
海賊

近代シンガポールの父ラッフルズの登場

1819年になると、東インド会社の書記として新たな港の場所を探していたサー・トーマス・スタンフォード・ラッフルズがシンガプーラに上陸しました。そして、アジア周辺へのアクセスの良さからフッフルズはこの地に新たな港を作る事を決めました。その際にシンガプーラという名前を、より英語で呼びやすいシンガポールという名前に変えたのが、現在のシンガポールという国名の由来となっています。

自由港政策の決定

さらにラッフルズは、シンガポールの港を自由港にする政策を決め、無関税の自由港の建設計画を立てました。この無関税の自由港という魅力的な政策により、東南アジア、中国やインドなどの周囲の国の人々がシンガポールに移住を始め、人口・労働力ともに力をつけていきました。

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日本統治~イギリス統治時代

1940年代の日本統治時代~イギリス統治時代について、簡単に歴史をまとめていきます。

日本軍による統治時代

順調に移民や自由港による貿易で経済発展を伸ばしていたシンガポールですが、世界的な戦争時代へと突入していった1942年に、日本軍により占領され、約3年半の間、シンガポールは日本の統治時代を迎えることになります。その際、シンガポールという名称ではなく沼南島と呼ばれるようになり、自由港であった貿易も停滞していったのでした。

日本の敗戦~イギリス統治時代

1945年になると、日本が敗戦をしてシンガポールはイギリスの植民地へと戻ることになります。さらに物語は早いスピードで進展し、1948年にはマラヤ連邦に自治を認め、その後1955年にはシンガポールは部分自治を認められることとなります。

シンガポールの独立~経済発展

シンガポールの独立から現在の経済発展をしていく経過を簡単にまとめていきます。

3つの公用語の指定

部分自治を認められたシンガポールは、完全な独立を勝ち取るため、周辺の各国から移住してくる人々の市民権を認め、市民の大部分を占める中国、マレー、インドの3つのコミュニティを代表して3つの公用語を指定しました。

この3つの公用語である

  • 中国語
  • マレー語
  • タミル語

は、現在のシンガポールでも継続して公用語となっており、今のシンガポールの多様な文化の基礎を築いたとも言えます。

シンガポールの独立

そして、1959年にはシンガポールは部分自治から完全自治へと移行し、マレーシア連邦の一つの州に合併を一旦されますが、マレーシア連邦との対立を経て1965年には念願の完全独立を迎えることとなります。

シンガポールの経済発展

その後、シンガポールはアジア各国へのアクセスの良さや、無関税の自由港であった背景から、国際的に貿易・金融市場を大幅に発展させることに成功します。その経済発展のスピードは著しく、独立した1965年からの30年の間、平均で10%の年間の経済成長率を達成していました。

観光都市としての成功

貿易・金融の国としてシンガポールは大きな発展を遂げましたが、近年、シンガポールは新たに観光立国としての計画を進めており、国内にセントーサリゾートカジノ、マリーナベイサンズのカジノなど、外資系の巨大資本を入れ、マリーナベイサンズホテルなどの観光客に魅力的なトレードマークを作ることにより、現在進行形の形で観光都市として大きな成功を収めつつあるのです。
観光都市

少し長くなってしまいましたが、以上がシンガポールの歴史のまとめでした。旅行の際には、特にラッフルズの象などを見るときなど、歴史を想像して観光を楽しんでみると、またひと味違った楽しみ方ができるかと思います。

 

その他にも、シンガポールの旅行・観光の際に知っておくと役立つ情報を特集していますので、参考にして頂ければと思います。

 

 

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カテゴリー ⇒シンガポール基本情報

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